さぽろぐ

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2012年03月23日

震災から1年が過ぎて、今思うこと

色々あってバタバタだった3月。
2月末から、市民放射能測定所の立ち上げ準備でバタバタしていたけど
3月11日の追悼コンサートで測定所のチラシを配る話がまとまり、
急きょプログラム折り込みのお手伝いに入りました。

当日は避難者の方のお話を聞いて涙。
黙祷後のコンサートでは音楽の力を感じました。自然は様々なものを奪ったけれど、自然を嫌いにはなれないなぁ という気持ちがわきおこりました。
胎動もずんどこずんどこ。聞こえてたのかな?

コンサートは午後からだったので、午前中は大通公園にいって原発反対のデモに途中参加(さすがにお腹が重くてぜんぶ歩ける気がしなかった)。顔見知りのおばちゃんたちに「見るたびにお腹大きくなるねぇ」なんて言われて、なんとなくほのぼの。

厚紙にマジックで
「一年前、あなたは何を感じましたか?」
と書いて、持って歩きました。


一年前。

全容が見えない被害がもどかしかった。
全容が見えても何もできなかった。
テレビの中に手をつっこんで、この人を助けられたらと思った。

そして、原発が「爆発的事象」を起こした。
私は大学時代にエネルギー関連も、公害の歴史も、チェルノブイリも環境法規も、水文学もさらっとだけど勉強してきた。見ているものが信じられない。「げんぱつには、ごじゅうのかべがあるはずなのに・・・」と言いながら吐きそうになった。

多分ものすごい顔をしていたのだと思う。
「大丈夫?」と夫に聞かれ、
「大丈夫、大丈夫、私が大丈夫じゃなかったら・・・」と吐き気をこらえた。
おそらく、あの中にも人がいるのだ。
ここで私が吐いたところで何のたしにもならない。

ふと思い出して空間線量を示すモニタリングポストを見ようとしたらサーバーが落ちていた。
これがネットの限界か、とかみしめた。

テレビはがれきの街並みと過酷な避難生活を映していた。
暖かい部屋にいるのが申し訳なくて、部屋の中をぐるぐる歩き回った。

それからは色々ありすぎて、大人になってから一番長い一年だった。
現実的な問題に直面した方にとっては、なおのこと過酷な一年だったと思う。

わたしは信仰心は薄いけれど、
天上の存在が、私たちが本当に震災から学習したかどうかを見ているように感じる。

「天災は、忘れたころにやってくる」のならば、私は忘れない事によって減災を目ざしたい。10年以上たっても、有珠山噴火がセピア色の記憶でないように。

そして、これからの過酷な時代を生きる子ども達を、少しでも健康に、強く、かしこく育てたい。

私は日本という国をあきらめていないから、未来の日本社会がよりマシになるように行動しているつもりだけど、力が及ばないかもしれない。

そんな時に、子どもたちの中に「日本以外の土地でも生きていけるような力・柔軟さ・思い切り」を育てておけば、どれだけありがたいことか。

妙なローカルルールで縛り合い、他人からどう見られるかを気にしすぎていたら、私たちは持てる力の半分も出すことができないだろう。

今、わたしは北広島市に提出する「一食全量検査を求める給食署名」を集めている。変人扱いな時もあるけど、もう気にならない。
「最近のモットーは、『ダメでもともと』なんですよぉ」なんて図太く、爽やかに笑っちゃう。

一年が過ぎても、現実は続く。
おかしな言い方だけど「心をこめて、現状と戦おう」と思っている。

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Posted by あいれん at 22:00│Comments(0)
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