さぽろぐ

日記・一般  |札幌市北区

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2011年03月14日

地震、お見舞い申し上げます。

大変なことになりましたね。

亡くなられた方々とご遺族の方に、まずはお悔やみ申し上げます。
被害を受けられた方々、助けを待っておられる方々、
そして救助活動や復旧にあたっておられる方々の事を考えると、祈るような思いしかありません。


11日は伊達で友人たちと会ってご飯を食べ、実家に泊まる予定を立てていました。
地震で出発が遅れましたが、携帯メールさえ飛ばなくなったことを受けて、
とりあえず伊達市へ向けて出発しました。
楽しいおしゃべりをしながらご飯を食べる気分ではなかったけれど、中止の連絡も飛ばせない以上は待ち合わせの場所まで行ってみるか、と。

一人と合流して、もう一人とは公衆電話から電話をかけたところ通じ、一人は帰宅したと職場の方に聞いてすぐに解散しました。結果的に考えると、満潮前に海沿いの道を抜けられるタイミングで切り上げたのは良い選択だったようです。

実家のある洞爺湖町(旧虻田町)では、大津波警報を受けて「JR室蘭線より海側」の地区に避難指示が出ていました。
11日午後6時30分頃に国道37号線を通過した時には、店はすべて営業をとりやめ、海沿いの建物は電気が消えていました。
学校が避難所になり、その地区の方々を受け入れていました。

実家についてテレビを見ると、ラジオで聞いていたよりもずっと衝撃的な映像が多々流れていて驚きました。
実家は避難所になっている学校よりも標高が高いくらいなので津波の心配はありませんでしたが、妹夫婦が茨城に住んでいることと、妹の旦那さんの実家が仙台市であることで非常に心配していました。

茨城の妹からは金曜の夜のうちに実家に電話が通じ、仙台を含めそれぞれがとりあえず無事であるという情報だけ受け取りました。

私の義妹も東京都内で仕事をしているので、どうしているんだろうと気がかりでしたが、携帯に連絡がつかず「歩いて帰るよりも、皆で会社で夜明かしするのではないか」と想像しながら、一夜を過ごしました。

土曜日には実家近くのスキー場へ行くつもりだったので車にはスキーを積んでいましたが
そんな気分が吹き飛んでしまった事と、夫が職場から召集される可能性もあったので
翌朝に洞爺湖町から家に戻ってきました。

子どもたちはおばあちゃん家へのお泊りをかなり楽しみにしていたので多少泣きましたが、
テレビを見る大人たちのただならぬ様子を感じとったのか、素直に従ってくれました。
「地震って、地球が寒くて震えてるからかなぁ?」と小3の長女に聞かれたので
プレート地震のメカニズムを図に描いて説明しました。

帰宅してから、やっと義妹と連絡がつきました。うまく帰れたようだったのでホッとしました。

今は、ざわざわする気持ちを、ひたすら体を動かすことで落ち着かせています。

節電など、今できることをしています。北海道から本州への送電能力は60万キロワットが限界のようですが、気持ちの問題として分かち合えたらと思っています。

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Posted by あいれん at 12:00│Comments(0)
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