2009年01月08日
人生最初の記憶
ものごころつき始めの子どもを育てていると、
「大人になったとき、こんな風に暮らしていたことをどのくらい覚えているんだろう」などと、ふと考える。
子どもたちには色々な経験をして豊かな幼少期を送ってもらいたいし、そのサポートをしている自覚もある。
でも、あまりに無邪気で幸せそうな子どもたちの様子を見ていると、逆に心配な気持ちになる。
「ビタミンかスパイスに似た『何か』が足りないのではないか」と。
あいれんの幼少期は、今になって冷静に振り返ると恵まれたものではなかった気がする。
両親は健在だったし祖父母にも愛された。かわいい妹だっていた。
しかし家庭内は「晴れ時々嵐」だった。父は酒が入ると人格の変わる人だったのである。
「大人になったとき、こんな風に暮らしていたことをどのくらい覚えているんだろう」などと、ふと考える。
子どもたちには色々な経験をして豊かな幼少期を送ってもらいたいし、そのサポートをしている自覚もある。
でも、あまりに無邪気で幸せそうな子どもたちの様子を見ていると、逆に心配な気持ちになる。
「ビタミンかスパイスに似た『何か』が足りないのではないか」と。
あいれんの幼少期は、今になって冷静に振り返ると恵まれたものではなかった気がする。
両親は健在だったし祖父母にも愛された。かわいい妹だっていた。
しかし家庭内は「晴れ時々嵐」だった。父は酒が入ると人格の変わる人だったのである。
あいれんの人生最初の記憶。それはある雪の降る夜だった。
家の間取りなどから記憶をたどると4歳から5歳後半の出来事だと思われる。
その夜は2階の寝床に入ってもなかなか寝付けなかったことを覚えている。
寝付けないから、寝返りをうってみたり、空想しながらおしゃべりしたりしていた。
歌も歌っていたかもしれない。
そうこうしていると1階の居間から父が登ってきた。
おおかた酔っていたのだろう。機嫌の悪い父は、どういうわけか窓を開けて私を窓から放り投げた。
私の人生最初の記憶は、そのときの落下感覚と共に始まる。
「ばふっ」と落ちた地面は、新雪のおかげで痛くなかった。しかし、その次の瞬間恐怖にかられた。
パジャマ姿という超軽装なのに、手も足も粉雪まみれになっていて痛いのだ。
命の危機を本能的に察知した私は、信じられないような声を上げて泣いた。
ご近所の明かりがババッとついて、玄関から母が飛び出してきたところで記憶は終わる(気絶したわけではないハズなのですが、どうも思い出せない)。
私が小学生になっても、「晴れ時々嵐」は相変わらずだった。
何かむしゃくしゃしていたときなのだろうか。
父は席につくばかりに整っている夕飯のテーブルをひっくり返し、家を出て行く。
「不愉快だ!」などと捨て台詞をはき、戸棚に入っている給料袋(当時は古きよき?現金支給だった)からお札を抜いて外へ飲みに行ってしまう。
ひっくり返されたテーブルと共に残された家族は悲しいかぎりだ。
割れた食器と食べ物の混合物。私や妹はすきっ腹。母はめそめそ泣きながら混合物を片付ける。
食べ物は生ゴミに。割れた食器は新聞紙にくるむ。手伝おうとしたら「あぶないでしょ!下がってな」と断られた。
そんなことが何度もあった。それがどれだけ珍しい現象かということも、当時の私には分からなかった。
私が小学校4年の時に両親は調停離婚した。
好奇にかられた近所のオバサンが私たち子どもをつかまえては色々聞いてきたりしたが、私は大して傷つかなかった。
「世間の人は大して助けてくれないかもしれないけど、決して戸棚の給料袋からお金を抜いていったりしない。
なら、そんなのカワイイもんじゃない?」
あいれんは、そんな風に考えるかわいげのない10歳児になったのだった。
--------------------
その後尊敬できる大人に出会ったり、素敵な先生に受け持ってもらったりして、いい感じの学生生活をさせてもらったのですが・・・。はぁ
すっかり人格形成も終わり、精神的にも安定して「幼少期が過酷だったおかげで精神的に打たれづよいのだ」と思う時もあるけど・・・あまりにもお勧めできない方法。あいれんの子どもたちにも、「『何か』が足りないのでは」と思うこともあるけど、とてもとてもあいれん幼少期の追体験をさせる気にはなれない。子どもが成長するために越える「壁」には、もっと適切なあり方があるハズだと思うからである。
まだ『「壁」の適切なあり方』がつかみきれていないけれど、彼女たちが壁を乗り越える時には、「壁のあり方が適切か、それとも理不尽か」「声援をおくるべきか黙って見守るべきか」を、ちゃんと見極められる母でありたいなぁと思うこの頃です。
家の間取りなどから記憶をたどると4歳から5歳後半の出来事だと思われる。
その夜は2階の寝床に入ってもなかなか寝付けなかったことを覚えている。
寝付けないから、寝返りをうってみたり、空想しながらおしゃべりしたりしていた。
歌も歌っていたかもしれない。
そうこうしていると1階の居間から父が登ってきた。
おおかた酔っていたのだろう。機嫌の悪い父は、どういうわけか窓を開けて私を窓から放り投げた。
私の人生最初の記憶は、そのときの落下感覚と共に始まる。
「ばふっ」と落ちた地面は、新雪のおかげで痛くなかった。しかし、その次の瞬間恐怖にかられた。
パジャマ姿という超軽装なのに、手も足も粉雪まみれになっていて痛いのだ。
命の危機を本能的に察知した私は、信じられないような声を上げて泣いた。
ご近所の明かりがババッとついて、玄関から母が飛び出してきたところで記憶は終わる(気絶したわけではないハズなのですが、どうも思い出せない)。
私が小学生になっても、「晴れ時々嵐」は相変わらずだった。
何かむしゃくしゃしていたときなのだろうか。
父は席につくばかりに整っている夕飯のテーブルをひっくり返し、家を出て行く。
「不愉快だ!」などと捨て台詞をはき、戸棚に入っている給料袋(当時は古きよき?現金支給だった)からお札を抜いて外へ飲みに行ってしまう。
ひっくり返されたテーブルと共に残された家族は悲しいかぎりだ。
割れた食器と食べ物の混合物。私や妹はすきっ腹。母はめそめそ泣きながら混合物を片付ける。
食べ物は生ゴミに。割れた食器は新聞紙にくるむ。手伝おうとしたら「あぶないでしょ!下がってな」と断られた。
そんなことが何度もあった。それがどれだけ珍しい現象かということも、当時の私には分からなかった。
私が小学校4年の時に両親は調停離婚した。
好奇にかられた近所のオバサンが私たち子どもをつかまえては色々聞いてきたりしたが、私は大して傷つかなかった。
「世間の人は大して助けてくれないかもしれないけど、決して戸棚の給料袋からお金を抜いていったりしない。
なら、そんなのカワイイもんじゃない?」
あいれんは、そんな風に考えるかわいげのない10歳児になったのだった。
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その後尊敬できる大人に出会ったり、素敵な先生に受け持ってもらったりして、いい感じの学生生活をさせてもらったのですが・・・。はぁ
すっかり人格形成も終わり、精神的にも安定して「幼少期が過酷だったおかげで精神的に打たれづよいのだ」と思う時もあるけど・・・あまりにもお勧めできない方法。あいれんの子どもたちにも、「『何か』が足りないのでは」と思うこともあるけど、とてもとてもあいれん幼少期の追体験をさせる気にはなれない。子どもが成長するために越える「壁」には、もっと適切なあり方があるハズだと思うからである。
まだ『「壁」の適切なあり方』がつかみきれていないけれど、彼女たちが壁を乗り越える時には、「壁のあり方が適切か、それとも理不尽か」「声援をおくるべきか黙って見守るべきか」を、ちゃんと見極められる母でありたいなぁと思うこの頃です。
Posted by あいれん at 03:42│Comments(2)
│あいれんの言いたい放題
この記事へのコメント
二階建てだったんかΣ( ̄ロ ̄lll)
だからおねぇは絶叫系だめなんかね・・・
うちの場合小さかったから、お父さんがどうこうより、おねえがうちを抱っこしてカーテンにくるまってた記憶のほうが鮮明かも
しょっちゅうおねえに守られてた気がする ありがとう(/_・、)
うちも昔から、今も、父親のこと聞かれてもなんにも思わないよ
きいちゃった人は「うわ、ごめん」みたいな反応だけど(汗)
明らかにお母さんは幸せになる選択したと思うし。
(まぁ、めっちゃ大変だったろうが・・・)
うちら真っ直ぐ育ったしね!(=゜ω゜)ノニョキ
ナミちゃんたちもきっと、大人には気付かないビタミンやスパイスを発見してるんじゃないかな~(´・ω・`)
その点、思い出を共有できるきょうだいの存在はいいよね!
だからおねぇは絶叫系だめなんかね・・・
うちの場合小さかったから、お父さんがどうこうより、おねえがうちを抱っこしてカーテンにくるまってた記憶のほうが鮮明かも
しょっちゅうおねえに守られてた気がする ありがとう(/_・、)
うちも昔から、今も、父親のこと聞かれてもなんにも思わないよ
きいちゃった人は「うわ、ごめん」みたいな反応だけど(汗)
明らかにお母さんは幸せになる選択したと思うし。
(まぁ、めっちゃ大変だったろうが・・・)
うちら真っ直ぐ育ったしね!(=゜ω゜)ノニョキ
ナミちゃんたちもきっと、大人には気付かないビタミンやスパイスを発見してるんじゃないかな~(´・ω・`)
その点、思い出を共有できるきょうだいの存在はいいよね!
Posted by かずね at 2009年01月30日 03:46
絶叫系がだめになったのは、高校の修学旅行で行ったディズニーランドのスペースマウンテンで気絶したのがきっかけ(だと思う)。
あの頃の家、間取り的には噴火の時に仮住まいした家に似てたかな?2階建てだけど長屋だったよ。
そういや、しょっちゅうカズをだっこして隠れてたっけ。うちら小さかったもんなぁ・・・。
ビタミンやスパイスは色々な情緒が発達してから効いてくるのかもしれないし、その点はのんきに構えてるよ(^^
仲良しきょうだい、いいよね~☆3月に会えるのが今から楽しみだよ。
あの頃の家、間取り的には噴火の時に仮住まいした家に似てたかな?2階建てだけど長屋だったよ。
そういや、しょっちゅうカズをだっこして隠れてたっけ。うちら小さかったもんなぁ・・・。
ビタミンやスパイスは色々な情緒が発達してから効いてくるのかもしれないし、その点はのんきに構えてるよ(^^
仲良しきょうだい、いいよね~☆3月に会えるのが今から楽しみだよ。
Posted by あいれん at 2009年01月30日 20:44